| ■1月 |
1903年 1月 1日
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エドワード7 世の「インド王」戴冠レセプション、デリーで開催。投獄中のインド人1
万6,000人が恩赦で釈放 |
1949年 1月 1日
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インドとパキスタン、国連決議に基づくカシミールでの停戦に合意 |
1976 年1 月3 日
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第42
次憲法改正により、インドは社会主義的世俗国家(socialist secular nation)となる |
1930年 1月 4日
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インド全域で独立を求める集会が行われ、マハトマ・ガンディー、ネルーを始め多数の逮捕者を出す。
ガンディーは英国政府に抗議し、死を覚悟の断食を開始。 |
1932年 1月 4日
|
英政庁、インド国民会議派を非合法化し、ガンディー、ネルー等の党指導者を一斉逮捕。ガンディーは獄中で抗議のハンガー・ストライキを開始 |
1966年 1月 4日
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ソ連の仲介によりタシケントで、第二次印パ戦争終結のための和平会談が始まる(インド側はシャストリ首相、パキスタン側アユーブ・カーン大統領が出席)。会談終了直後にシャストリ首相、心臓麻痺で急逝 |
| 1972年 1月 7日 |
インド、西側諸国の反対を尻目に、北ベトナムとの国交樹立に踏み切る |
1942年 1月10日
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日本の大本営、インドにおける反英運動を積極的に支持する方針を決定する |
1966年 1月19日
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インド首相にインディラ・ガンディーが選出さる。セイロン(当時)のバンダラナイケ首相に次ぎ、世界で2
番目の女性首相の誕生 |
1963年 1月20日
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ネパールと中国が北京で国境議定書に調印。これがインドを刺激し、中印関係は更に混迷状態に陥る |
1976年 1月21日
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マドラスで開催の第25 回パグウォッシュ会議(38ヵ国の科学者が参加)、世界非核地帯の創設を呼びかける声明を出して閉会 |
1857年 1月22日
|
メル―ト(現在のハリアナ州内に位置)の街の英軍駐屯地で、インド人傭兵が反旗を翻し、「セポイの反乱」のきっかけとなる暴動を起こす。 |
1959年 1月23日
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インド、キューバを正式に承認 |
1966年 1月24日
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ボンベイ発ニューヨーク行きのインド航空(乗客106 人)がモンブラン(アルプス)上空で墜落。インド原子力委員会のホミ・バーバー委員長をはじめ、乗客・乗務員全員死亡。 |
1966年
1月24日
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インディラ・ガンディー、独立インドの第3
代首相に就任 |
1950年 1月26日
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インド、新憲法が発効し共和国となる。英連邦自治国の関係も消滅する |
1945年 1月28日
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ビルマ・ロードの完成に伴い、米軍トラック部隊が初めてインドから国境を越え中国領に入る |
1948年 1月30日
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聖雄マハトマ・ガンディー、ニューデリー市内の集会において、ヒンドゥー至上主義者の凶弾に倒れる。 |
1948年
1月30日
|
インド政府、聖雄マハトマ・ガンディー、デリーの暗殺を画策したヒンドゥー至上主義結社「国家奉仕隊」(R S S)を非合法化
|
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| ■2月 |
1955年 2月
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ソ連政府、インドの大型製鉄所建設計画に援助を正式表明。これがソ連の対印経済援助の始まりとなる。 |
1952年 2月 1日
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ボンベイでこの日から開催の第19 回世界卓球選手権に、日本は初参加し4 種目で優勝 |
1968年 2月 1日
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第2 回国連貿易開発会議(UNCTAD) がニューデリーで開かれ、先進国の発展途上国への一般特恵制度を採択 |
1983年 2月 2日
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インディラ・ガンディー首相の長男ラジブ・ガンディー、国民会議派の幹事長(青年部担当)に就任し、インド国政の表舞台に登場 |
2001年 2月 3日
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バジパイ首相、グジャラート州で大規模な地震が発生したため、この月に予定された日本訪問を急遽延期した。 |
| 1930年 2月 4日 |
全国で鉄道スト発生。同4 月16 日に組合側の敗北でストは終了。 |
1927年 2月10日
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ブリュッセルで被抑圧民族・反帝国主義会議開催。インド国民会議派のネルーも出席し、新たに結成された帝国主義反対連盟に加盟 |
1943年 2月10日
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反英独立運動を主導し逮捕されたマハトマ・ガンディー、無条件釈放を要求して断食を開始 |
1952年 2月10日
|
インド独立後、初の総選挙でネルー率いる国民会議派が圧勝 |
1989年 2月14日
|
イランの最高指導者ホメイニ師、インド生まれの英国人作家サルマン・ラシュディ氏の小説『悪魔の詩』をイスラム冒涜の書と決め付け、同氏に死刑を宣告 |
1966年 2月16日
|
インド政府、深刻な食糧危機打開のため、世界30カ国に対し食糧援助を要請 |
| 1946年 2月18日 |
英領インド海軍のインド人将兵、ボンベイ(現ムンバイ)で反乱 |
1947年 2月20日
|
アトリー英国首相、インドへの主権の移譲を1948年6月までに完了すると発表 |
| 1910年 2月25日 |
清国軍がチベットに進駐、ダライ・ラマ13 世は英領インドに難を逃れる。 |
2002年 2月27日
|
聖地巡礼から戻るヒンドゥー教徒が乗った列車が、グジャラート州のゴドラ駅で放火され、死者59人を出す惨事となり、それを契機に州内で宗教対立が激化。 |
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| ■3月 |
| 1945年 3月 1日 |
インド、日本とドイツに宣戦布告 |
1950年 3月 2日
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ネルー首相、「インドはいかなる同盟にも参加しない」と国会で言明し、非同盟主義を機軸とするインドの外交姿勢を内外に打ち出す。 |
1931年 3月 4日
|
ガンディー国民会議派代表、アーヴィン・インド総督とデリー協定に調印し、政治犯の釈放を条件に、不服従運動の停止と円卓会議出席に同意した。 |
1944年 3月 8日
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日本軍、ビルマ方面からインパール作戦を開始。英印軍の反撃に遭遇し敗北、4ヵ月後に撤退 |
1993年 3月12日
|
ボンベイ(現ムンバイ)市内のインド航空本社、証券取引所等、12ヵ所で昼日中の同時刻に大爆発が発生し、多数の犠牲者を出す。経済都市ボンベイのイメージを大きく損なう。 |
| 1907年 3月16日 |
日英同盟条約の改定に伴い、カルカッタに日本総領事館が開設。 |
1915年 3月19日
|
英国政府、インド民衆による反英・独立運動を抑圧するため、インド防衛法を発布。その結果、国民会議派を中心に反英抗争が一層強まる。 |
| 1972年 3月19日 |
インドとバングラデシュ、友好協力平和条約に調印 |
1907年 3月22日
|
南アフリカのインド人移民、カラムチャンド・ガンディー(後のインド独立の指導者[マハトマ・ガンディー])に率いられ、アジア人登録法に反対して歴史的な不服従運動を開始。 |
1940年 3月22日
|
ムスリム連盟のジンナー総裁、ラホールでの年次大会で、インド東部・西部をイスラム国家として分離させる提案を発表。それがパキスタン創設の動きの始まりとなる。 |
1977年 3月22日
|
インディラ・ガンディー内閣、総選挙で破れ総辞職。モラルジー・デサイ率いるジャナタ野党連合に政権を譲る。 |
| 1954年 3月29日 |
ネルー首相、米国とソ連に水爆実験の禁止を要請 |
1959年 3月31日
|
ダライ・ラマ法王、中国のチベット派兵の難を逃れ首都ラサを脱出し、徒歩で15
日間かけインド国境にたどり着き、インドに政治亡命した。 |
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| ■4月 |
1937年 4月 1日
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英国政府、ビルマをインドから切り離し、直轄の植民地とする。 |
1949年 4月 1日
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インド、独立後も英連邦に留まることに決定 |
1957年 4月 1日
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インド、10 進法通貨制度を採用。その結果、1 ルピー= 16 アンナが1 ルピー=
100 パイサとなる。 |
1926年 4月 2日
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カルカッタでヒンドゥー・イスラム両教徒の間に大規模な衝突が発生。このため、マハトマ・ガンディー率いる国民会議派の独立闘争は後退を余儀なくされる。 |
1942年 4月 6日
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東条英機首相、日本軍が対インド作戦を開始するに当たり、「インド人のインドを実現する好機」と演説。 |
1950年 4月 8日
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インド、パキスタン両国、宗教紛争防止のための少数民族保護協定に調印。 |
1975年 4月 8日
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インドの保護国シッキムで反政府暴動が高まったのを機に、インドがシッキムに介入。その後シッキムを併合し、国際世論の批判を浴びる。 |
1987年 4月12日
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V・P・シン国防相、政府の汚職事件関与に抗議して辞職。これを機に、ラジブ・ガンディー首相との対立強まる。 |
1919年 4月13日
|
アムリッツァル(パンジャブ州)のジャリヤンワラ・バーグ広場で英軍が民衆に無差別発砲し、虐殺事件が発生。後に、この事件がインドでの反英独立抗争激化の引き金となる。 |
1947年
4月15日
|
ガンディーとジンナー、マウントバッテン総督の要請に応じ、ヒンドゥー、イスラム両教徒に平和を呼びかける声明を共同で発出。 |
1981年 4月18日
|
インド、高純度の兵器級プルトニウムを生産開始。 |
1985年 4月23日
|
インド・グジャラート州で、下層階級への雇用留保の問題をめぐり暴動が発生し、18
人が死亡。 |
1929年 4月24日
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英国人ジェンキンズはロンドン・ボンベイ間の初の無着陸飛行に挑戦し、26 日に目的地に無事到着。 |
1956年 4月24日
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インドで釈迦生誕2500 年祭が開催される。 |
1963年 4月27日
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インド国会、公用語法を採択。その結果、ヒンディー語を連邦公用語とすることが決定した |
1952年 4月28日
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インド、対日戦争終結宣言を行う。その後、同年6 月9 日に日印両国間に単独平和条約が締結される |
1954年 4月29日
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インドと中国、チベット地方とインドとの間の通商・交通に関する協定に調印。その前文で平和五原則を確認した。 |
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| ■5月 |
1946年 5月 6日
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英内閣使節団、英領インドと藩王国を合わせて、一つの連邦政府をもつ統一インド案を提示。 |
1957年 5月10日
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セポイ(インド人傭兵)の反乱から100周年を迎え、インド全国で記念式典が行われる |
1964年 5月10日
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インド国産のHF-24 型戦闘機、実践用として初めて空軍に配備さる。 |
1985年 5月10日
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シーク教徒の過激派がニューデリーなど20カ所で時限爆弾による同時爆破事件を起こし、80人以上が死亡。 |
1976年 5月14日
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インドとパキスタン、1971 年12 月に勃発した第3 次印パ戦争を機に断絶していた国交の再開に同意。 |
1946年 5月16日
|
英国政府派遣の内閣使節団、2 つの政権を中央の組織で纏める方式でのインド独立案をシムラで発表。これに、国民会議派の長老M.
ガンディーは賛成、ムスリム連盟の代表ジンナーは反対したため、結局、使節団の努力は失敗に終わる。 |
| 1974年 5月18日 |
インド、初の核実験実施。世界で6 番目の核保有国となる。 |
| 1951年 5月27日 |
中国、チベットの解放を公式に発表。チベットは対中抵抗運動を止め、中国の自治区となる |
1964年 5月27日
|
ジャワハルラル・ネルー初代首相、心臓発作で死去(享年74 歳)。ラール・バハドゥル・シャストリが後任首相に就任。 |
1956年 5月28日
|
フランス政府、インドにあるポンディチェリー、シャンデルナゴル(チャンダンナガル)等4つの植民地の返還に調印 |
1916年 5月29日
|
詩人ラビンドラナート・タゴール、日本を初訪問し、岡倉天心と交流を深める。 |
1947年 5月29日
|
インド憲政議会、不可触民制度の廃止を決定。 |
| 1981年5月31日 |
インド、2度目の人工衛星打ち上げに成功 |
 |
| ■6月 |
1952年 6月 1日
|
前年実施の国勢調査の結果を発表、人口は3億6,108万人(現在の約3分の1) |
| 1947年 6月 3日 |
マウントバッテン総督、英国政府によるインド・パキスタン分離独立案を発表 |
1975年 6月 3日
|
ウッタル・プラデシュ州のアラハバード高裁、選挙違反でインディラ・ガンディー首相を有罪とし、政治活動を6年間禁じる判決を下す。ガンディー首相はただちに最高裁に控訴 |
1984年 6月 5日
|
インディラ・ガンディー首相、アムリッツァルの黄金寺院に立てこもるシーク教徒過激派を軍隊の力で制圧。それが後に、同首相暗殺の原因となる。 |
| 1966年 6月 6日 |
インド政府、世銀の勧告に従い、ルピー平価を57.5% 切り下げる |
1984年 6月 6日
|
インド陸軍、パンジャブ州アムリトサルのシーク教総本山「ゴールデン・テンプル」に立てこもるシーク教徒の武装集団を鎮圧。多くの死者を出す |
1947年 6月15日
|
全インド国民会議派の実行委員会、ニューデリーで会合し、英領インドをインドとパキスタンに分離独立させるマウントバッテン提案を、賛成153
票、反対29 票で承認した。 |
1960年 6月16日
|
ニューデリーで日米安保反対支援集会が開かれる。 |
| 1955年 6月22日 |
モスクワでのネルー・ブルガーニン両首相会談終了、共同宣言に調印。 |
1969年 6月23日
|
インディラ・ガンディー首相、日本を初めて公式訪問。1958 年に父親のネルー首相に随行して訪日して以来、12
年振りの日本訪問であった。 |
1985年 6月23日
|
インド航空ジャンボ機、アイルランド南方海上で仕掛けられた爆弾が爆発して、墜落。329 人全員が死亡。 |
1975年 6月25日
|
インディラ・ガンディー首相、内憂の高まりを理由に非常事態宣言を宣言し、弾圧政治に乗り出す。それが災いし、19
ヵ月後に実施の総選挙で敗北したが、さらに8 ヵ月後には政権復帰に成功。 |
1975年 6月26日
|
インディラ・ガンディー首相が非常事態宣言に基づき、野党指導者676 人を逮捕 |
1914年 6月30日
|
南アフリカ連邦政府、人種差別に反対するマハトマ・ガンディーの無抵抗運動に屈し、アジア人移民法の適正な運用を約束した。 |
 |
| ■7月 |
1951年 7月 1日
|
インド政府、第一次五カ年計画を発表。 |
1954年 7月 1日
|
インド政府、南アフリカの人種差別政策に反対して、南アにおけるインドの外交代表部を閉鎖。 |
1972年 7月 2日
|
インディラ・ガンディー首相とZ.A. ブット大統領、第3 次印パ戦争処理のためのシムラ合意書に署名。 |
1914年 7月 3日
|
インド・チベット間の国境確定のためのシムラ会談で、英国、チべット、中国の代表が協定に仮調印。後に中国はこれを拒否。 |
1972年 7月 3日
|
インディラ・ガンディー、Z.A.ブットー両首相、国境沿いの軍撤退、占領中の領土返還、カシミールでの緊張緩和を柱とする、シムラ協定に署名した。 |
1943年 7月 4日
|
シンガポールで開催のインド独立連盟大会、自由インド仮政府の樹立を決議し、チャンドラ・ボースを仮政府の首席代表に選出。 |
1969年 7月 4日
|
インド・パキスタン両国、カッチ地域に関する国境確定協定に調印。 |
1999年 7月10日
|
カシミール・カルギル地区でのパキスタンとの戦闘がインドの勝利に終わったと、バジパイ首相が宣言。 |
1942年 7月14日
|
国民会議派、英国からの完全独立を求め、マハトマ・ガンディーの非暴力抵抗運動の開始を決議。 |
| 1989年 7月16日 |
ラジブ・ガンディー首相、インド首相として26 年ぶりにパキスタンを公式訪問 |
1947年 7月18日
|
インド独立法案が成立。その結果、英領インドから印パ両国の分離・独立が正式に決定。 |
1905年 7月20日
|
カーゾン・インド総督、ベンガル州分割令を公布。国民会議派はこれに反対し、各地で英国製品のボイコットを開始。 |
1941年 7月26日
|
ルーズベルト米大統領が在米日本資産を凍結したのに追従し、イギリスが日英、日印、日緬通商協定を破棄した。 |
1979年 7月28日
|
モラルジー・デサイ首相、不信任動議を突きつけられ辞職。後任首相にチャラン・シンが就任。 |
 |
| ■8月 |
1934年 8月 1日
|
マハトマ・ガンディー、不可触民をハリ・ジャン(神の子)と呼び、彼らとの連帯運動を開始。 |
1956年 8月 4日
|
インドがボンベイ郊外に自力で設置した実験用原子炉、運転を開始。 |
1942年 8月 8日
|
ボンベイで開催された国民会議派全国委員会が、マハトマ・ガンディーの指導で歴史的な決議「インドを立ち去れ」(Quit
India) を採択し、英国植民地支配の終結を求める。その結果、全国的な不服従運動が始まる。 |
1971年 8月 8日
|
ソ連のグロムイコ外相、インドを訪問し平和友好協力協定に調印(有効期間20
年) |
1979年 8月10日
|
インドが初の衛星用ロケットの打ち上げに成功。 |
| 1905年
8月12日 |
英国、第二次日英同盟条約に署名。英領インドもその適用範囲内に。 |
1948年 8月13日
|
国連、インドとパキスタンに対しカシミール方面での停戦を勧告。これを機に、カシミールは停戦ラインを挟んで印パ両国に分離支配されることとなり、今日に至る。 |
| 1946年 8月15日 |
国民会議派のネルー議長、臨時インド政府の発足に関する声明を発表。 |
1946年 8月16日
|
ネルー国民会議派総裁が臨時政府の樹立を声明。この日、カルカッタでヒンドゥー・イスラム両教徒が衝突、死者34
人を出す惨事となる。 |
1945年 8月18日
|
インド独立の志士スバス・チャンドラ・ボースが台北で飛行機事故に遭遇し不慮の死を遂げる。 |
1917年 8月20日
|
英国政府のモンターギュー・インド担当国務相、英領インドにおける自治権の暫定的拡大を発表。 |
1995年 8月20日
|
シーク教の穏健派政党「アカリ・ダル」のロングワール党首、シーク教過激派に襲撃され死亡 |
| 1951年 8月27日 |
インド、単独で日本と講和条約を締結する旨発表。 |
1979年 8月27日
|
最後のインド総督マウントバッテン卿、アイルランド沖をボートで航行中、テロリストに爆破され即死。 |
 |
| ■9月 |
1906年 9月 2日
|
インド人弁護士M・K・ガンディー(後のインド独立の父マハトマ・ガンディー)、南アフリカのヨハネスブルグでのインド人集会で、非暴力・無抵抗の思想に基づく反英運動を提唱。 |
1986年 9月 2日
|
ニューデリーでラジブ・ガンディー首相暗殺未遂事件が起きる。犯人はその場で逮捕。 |
1965年 9月 6日
|
インド軍、国境を超えパキスタン・ラホールに向け進撃開始。ソ連は両国に停戦を呼びかけ、中国はインドを非難。 |
1931年 9月 7日
|
インドに自治権を付与する問題を協議のため、第2次円卓会議がロンドンで開催される。マハトマ・ガンディーが手織りの布(「自治独立」の象徴)を身に纏ってこれに出席し、注目を浴びる |
1974年 9月 7日
|
インド政府、旧シッキム藩王国をインドの一州として一方的に併合し、国際的に強い批判を浴びる。 |
1959年 9月 8日
|
周恩来中国首相がネルー首相に書簡を送り、中印国境線越えに駐屯するインド軍の撤退を要求。 |
1974年 9月14日
|
第3次印パ戦争終結のための共同宣言が発表される。印パ両国、印パ関係の正常化に向かって漸く乗り出す。 |
| 1976年 9月15日 |
インド政府、人口抑制のための不妊手術が前年の3倍に達した旨発表。 |
1947年 9月18日
|
インドへの帰属に反対するハイデラバード藩王国を、インド軍が占領。結局、藩王はインドへの帰属に同意。 |
1956年
9月20日
|
ネパールはチベットに対する治外法権を放棄し、中国のチベット領有権を認める条約に調印。これを機に、中印関係が一層緊迫化する |
1933年 9月23日
|
綿花・綿布バーター取引協定の締結交渉、日本側から沢田節蔵特命全権大使、英国側からJ.
ボア商務長官が出席し、シムラにおいて始まる。協定は7ヵ月後に合意に達し、ロンドンで調印される。 |
1944年 9月25日
|
マハトマ・ガンディーとジンナ―の会談が決裂。インド独立構想についての国民会議派とムスリム連盟の合意成立せず。 |
1949年 9月25日
|
ネルー首相が日本の子供に贈ったインド象「インディラ」、上野動物園で初公開さる。 |
1954年 9月25日
|
ネルー首相とスカルノ大統領が会談し、アジア・アフリカ会議開催に関する共同声明を発表。 |
 |
| ■10月 |
1869年10月 2日
|
インド独立の父、M.K.ガンディー、ポールバンダール藩王国(現在のグジャラート州の一部)の宰相の家に生まれる。 |
| 1969年10月 2日 |
マハトマ・ガンディー生誕100 年祭。インド全国で盛大に行われる。 |
1957年10月 4日
〜13日 |
インドの初代首相ジャワハルラル・ネルー、日本を国賓として公式訪問。
|
1957年10月
8日
|
来日したネルー首相、8 年前に日本の子供に贈ったインド象「インディラ」に上野動物園で再会 |
1937年10月 9日
|
カルカッタで開催の国民会議派全国委員会、日本の中国侵略を批判し、中国人民の独立を守る運動に支持を表明 |
1913年10月13日
|
インドのシムラで英国、中国、チベットの代表が会談し、チベットの自治を承認 |
1957年10月13日
|
訪日中のネルー首相、日本側との会談を終え共同声明に署名。その中で大量破壊兵器の禁止等を強調。 |
1943年10月21日
|
独立の志士チャンドラ・ボース、シンガポールで自由インド仮政府を樹立し、翌23
日に英、米に対し宣戦を布告した。 |
1966年10月21日
|
インディラ・ガンディー首相、チトー・ユーゴスラビア大統領、ナセル・アラブ連合大統領の非同盟3国首脳、ニューデリーに集まり南北問題を協議 |
1939年10月27日
|
マハトマ・ガンディー率いる国民会議派、英国政府が第2次世界大戦へのインドの参加を求めたのに対し、戦後にインドの独立を確約するよう要求 |
1947年10月27日
|
ハリ・シン藩王によるカシミールのインドへの暫定帰属の申し入れをインドが受け入れ、それを機に、インドがカシミールでの暴徒鎮圧に乗り出す。
その結果、第一次印パ戦争に突入。 |
1956年10月29日
|
重光葵外相とB.R. セン駐日インド大使、日印文化協力協定に署名 |
1971年10月30日
|
インド、パキスタン両軍、東部国境方面で戦闘を開始、両国は第三次印パ戦争に突入 |
1929年10月31日
|
インド政庁、自治領の地位に関する英印円卓会議をロンドンで開催する旨発表。約1
年後に開かれた同会議にマハトマ・ガンディーは木綿の布だけを身に纏うインド服で出席、「裸の聖者」と話題を呼ぶ。 |
1984年10月31日
|
インディラ・ガンディー首相、ニューデリーの首相官邸内でシーク教徒過激派により暗殺さる。 |
 |
| ■11月 |
1966年11月 1日
|
ニューデリーでの聖牛屠殺反対デモが警官隊と衝突し、死傷者309人を出す惨事となる。 |
1984年11月 1日
|
インディラ・ガンディー首相暗殺に怒ったヒンドゥー教徒、シーク教徒に対する暴動を激化 |
| 1974年11月 4日 |
インド政府、鉄鉱石輸出機構の結成を提案 |
1945年11月 5日
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英領インド政府、第2 次世界大戦中にチャンドラ・ボースに加担したインド国民軍の将校3
名の裁判(軍事裁判)をレッド・フォート(デリー)で開始。 |
1977年11月 5日
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インドとバングラデシュ、印パ分離独立当時から30年にわたり懸案であったガンジス河水利協定に調印 |
1951年11月 6日
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日本のホッケー・チーム、インドに遠征。18 戦全敗に終る。 |
1893年11月 7日
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タタ財閥と日本郵船の提携で開設されたボンベイ航路の第一便、廣島丸がボンベイに向け神戸を出航 |
1959年11月 7日
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周恩来首相、ネルー首相宛ての書簡で、中印両軍がマクマホン・ラインから20
キロ後退して非武装地帯を作るよう提案。インド側はこれを拒否。 |
1962年11月 7日
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クリシュナ・メノン国防相、中印紛争でのインド敗北の責任をとり辞職。
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1966年11月 7日
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ニューデリーで聖牛屠殺反対デモが警官隊と衝突。死傷者200 人余を出す惨事となる |
1962年11月14日
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中印国境紛争の激化に伴い、米国はインドに対する軍事援助協定に調印。同月27日には英国もインドとの長期軍事協定に調印。 |
1964年11月14日
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ニューデリーの旧ネルー首相公邸、ネルー記念博物館・図書館として一般に開放(現ネルー記念博物館・プラネタリウム)。 |
1982年11月14日
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ネルー首相の誕生日に当たるこの日から、ニューデリーで第9回アジア競技大会始まる。 |
1941年11月15日
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日本の大本営、「ビルマの独立を促進し、その成果を利導して、インドの独立を刺激する」(原文のまま)とのインドに対する施策を決定。 |
| 1966年11月15日 |
インド映画の巨匠サタジット・ライの代表作「大地のうた」、東京で初公開さる。 |
| 1982年11月19日 |
第9 回アジア競技大会、ニューデリーで開幕。 |
1962年11月21日
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中国の周恩来首相、ヒマラヤ沿いで1ヶ月に亘り続けられたインドとの戦闘を、一方的に停止すると発表した。 |
1919年11月24日
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マハトマ・ガンディー、デリーで開催のイスラム教徒の集会で、英国の植民地支配に反対する「非協力・不服従運動」の考えを初めて明らかにした。 |
1982年11月26日
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フランス、インドの原子力施設に濃縮ウランを提供する協定に署名。 |
1915年11月28日
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警視総監、日本に亡命中のインド独立の志士ラス・ビハリ・ボースに国外退去を命ずる。ボースは右翼の巨頭・頭山満の口添えで、新宿・中村屋の相馬夫妻に匿われる。 |
1973年11月29日
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インド訪問のブレジネフ・ソ連共産党書記長、対印経済協力協定に調印 |
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| ■12月 |
1851年12月 2日
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中国人民解放軍、チベットのラサに進駐。ダライ・ラマ、その難を逃れインドに亡命。 |
| 1971年12月 3日 |
第三次印パ戦争勃発。同月16 日パキスタンの敗北で戦争終結。 |
1950年12月 5日
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インドがシッキムと平和条約を締結。その結果、シッキムはインドの保護国となる。 |
1904年12月 6日
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インド民族指導者L・ティラク、同日付のマラティー語週刊誌『ケーサリー(獅子)』に日露戦争での日本の勝利を称える論文を掲載し、インド人の独立心
を高揚させる。 |
1992年12月 6日
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ヒンドゥー過激勢力、U P 州アヨーディアのイスラム礼拝堂「バブリ・マスジッド」を破壊。 |
1972年12月 7日
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印パ両国、カシミールの停戦ラインにつき、紛争発生以来25 年ぶりに合意 |
| 1979年12月10日 |
カルカッタで貧民救済事業に務めるマザー・テレサ、ノーベル平和賞を受ける |
1950年12月15日
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独立後のインド統一の立役者で鉄腕政治家のサルダール・バッラバイ・パテル内相、心臓麻痺を併発し死亡。 |
1960年12月20日
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インド軍、ポルトガル領ゴアに対する軍事行動を開始。 |
1928年12月22日
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インド人による自治獲得のための全党会議がカルカッタで開催。急進派と穏健派の対立解消に、マハトマ・ガンディーが努力。 |
1954年12月23日
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ネルー・インド首相とチトー・ユーゴスラビア大統領、両国関係の強化を謳う共同声明を発表。非同盟運動は最盛期を迎える。 |
1921年12月24日
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カラムチャンド・ガンディー(マハトマ・ガンディー)が国民会議派の最高指導者に就任。インド人に非暴力・不服従を呼びかける。 |
1912年12月25日
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革命家ラス・ビハリ・ボースとその一味、ハーディング・インド総督に爆弾を投げ負傷させる。これを機に、R.B. ボースは日本に亡命し、反英運動を始める。 |
2004年12月26日
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インドネシア、スマトラ島沖で地震とともに大規模な津波が発生、インド東海岸でも多くの死者を出す |
1984年12月29日
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インディラ・ガンディー首相暗殺直後の総選挙で、ラジブ・ガンディー率いる国民会議派が下院議席の80%を占め、圧勝。 |
1988年12月29日
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パキスタンを訪問したラジブ・ガンディー首相が、前月(11月)就任したばかりのベナジール・ブット首相と会談し、核施設攻撃禁止協定に調印 |
1885年12月30日
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インド国民会議派、ボンベイで発足。 |
1906年12月30日
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全インド・ムスリム連盟の創立大会、ダッカで開催される |
1985年12月31日
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ラジブ・ガンディー首相、ボンベイで開催の国民会議派創立100周年記念式典で、インド政治を批判する演説をして注目を浴びる。 |